1564〜1616年 · 作家
ウィリアム・シェイクスピアのサイン
イングランドの劇作家・詩人(1564〜1616年)
ウィリアム・シェイクスピアとは
ウィリアム・シェイクスピアは1564年4月にストラトフォード・アポン・エイヴォンで洗礼を受け、1616年4月に同地で亡くなりました。そのあいだに俳優となり、宮内大臣一座、のちの国王一座と呼ばれる劇団の共同出資者となり、以来読み継がれ上演され続けている戯曲と詩を書きました。
あれほど多くを書いたにもかかわらず、本人の筆跡はほとんど残っていません。だからこそ、わずかに残るサインがこれほど詳しく研究されてきたのです。
サインの物語
シェイクスピアのものと一般に認められているサインは6つだけで、どれも晩年の法的文書にあります。ベロット対マウントジョイ訴訟での証言録取書(1612年)、ロンドンのブラックフライアーズ地区の門番小屋の購入証書と抵当証書(1613年)、そして遺言書の3ページ(1616年)です。本人が署名した手紙や戯曲の原稿は知られていません。
綴りはまちまちです。証言録取書には、ふつう「Willm Shakp」と読まれる短い形で書いています。証書と遺言書には「Shakspere」に近い長い形があり、遺言書の最後のページには「By me William Shakspeare」とあります。当時の英語の綴りは定まっておらず、書記も署名する人も自由に略したので、この多様さは不思議ではありません。1613年の2つのサインは、印章を付ける細い羊皮紙の帯に詰め込まれたため、余白がほとんどありませんでした。
6つともイングランドの書記体(セクレタリー・ハンド)で書かれています。チューダー朝とジェームズ1世時代のイングランドで日常的に使われた書体です。現代の目には奇妙に見える文字がいくつもあるため、慣れないとサインを読むのは難しいでしょう。遺言書のサインは以前のものより安定していないとよく言われますが、それは観察にすぎず、健康状態との関係は推測です。
証言録取書と遺言書はキューの英国国立公文書館が所蔵しています。また多くの研究者は、大英図書館にある戯曲『サー・トマス・モア』の原稿のうち3ページがシェイクスピアの筆跡(「筆跡D」)だと考えており、その根拠の一部はこの6つのサインとの比較です。ただし、この帰属は誰もが認めているわけではありません。
サインの特徴
文字の形は、のちに現代の筆記体の手本となったイタリック体ではなく、イングランドの書記体から来ています。
「Willm」や「Wm」のような形は、当時の標準的な書記の略し方で、省略を示すために文字を上に上げたり印を付けたりします。
姓の綴りが同じサインは二つとなく、印刷された作品に使われた「Shakespeare」の綴りはどれにもありません。
1613年の証書では名前を細い印章用の帯に収める必要があり、詰めて一部を略して書かれています。
遺言書の最後のサインには「By me」(私自ら)が添えられています。法的文書を締めくくるよくある定型句です。
自分のサインに似た雰囲気を出すには
- サイン作成の「文字入力」タブを開き、ZeyadaやHerr Von Muellerhoffのような、細くてやや不揃いな書体を試してみてください。原本はかなり立っているので、傾きは小さめに。
- ファーストネームを書記のように略してみましょう。Williamなら「Wm」、Thomasなら「Thos」として、姓はフルで。誰かをまねることなく、時代の雰囲気が出ます。
- 下線や飾り線はなしで。これらのサインは法的文書に書かれた飾り気のない名前で、効果は装飾ではなく文字の形から生まれています。
- 「手書き」タブを使うなら、ゆっくり書きましょう。パッドは速さに反応するので、ゆっくり書くと、羊皮紙に羽根ペンで書いたような重く慎重な線になります。
原本を見られる場所
リンク先は資料館、図書館、美術館、ウィキメディア・コモンズです。
ウィリアム・シェイクスピアのサインについてよくある質問
本物のシェイクスピアのサインはいくつありますか?
一般に認められているのは6つです。1612年の法廷の証言録取書に1つ、1613年の不動産証書に2つ、1616年の遺言書に3つ。印刷本の中などにあるとされるほかのサインは、真偽に議論があります。
シェイクスピアは自分の名前を「Shakespeare」と綴りましたか?
現存するサインには一つもありません。「Shakespeare」は出版された詩や戯曲に印刷された綴りで、本人のサインは「Shakspere」のような短い形です。
戯曲の原稿は残っていますか?
本人の筆跡による完全な戯曲は残っていません。大英図書館にある共作の戯曲『サー・トマス・モア』の3ページは、広く彼の筆跡とされていますが、全員が認めているわけではありません。