1760〜1849年 · 画家
葛飾北斎のサイン
日本の浮世絵師・画家(1760〜1849年)
葛飾北斎とは
葛飾北斎は1760年に江戸(いまの東京)で生まれ、1849年に同地で亡くなりました。享年はおよそ88歳です。絵師、版画の下絵師、本の挿絵画家として、『富嶽三十六景』の「神奈川沖浪裏」や、スケッチを集めた何冊もの『北斎漫画』を残しました。
当時の日本の絵師は画号(号)で活動しましたが、北斎ほど頻繁に号を改めた人はほとんどいません。北斎の署名は、その変遷の記録でもあります。
サインの物語
北斎は生涯に30以上の画号を使いました。版画絵師・勝川春章の門下で「春朗」として出発し、のちに「宗理」を名乗り、1798年ごろから定着した「北斎」を使い始めます。さらに「戴斗」「為一」、そして1834年からは「画狂老人卍」と署名しました。古い号を弟子に譲ることもあったため、作者の特定が難しくなる場合があります。
署名そのものが改号を記録していることもよくあります。1830〜32年ごろに出版された『富嶽三十六景』の多くの作品は、「神奈川沖浪裏」も含めて「北斎改為一筆」(北斎あらため為一の筆)と署名されています。絵本『富嶽百景』(1834〜35年)は、「前北斎為一改画狂老人卍」の作とされています。
その跋文で北斎は、七十歳より前に描いたものは取るに足らないと述べ、百十歳になれば一点一画が生きているようになるだろうと願いました。肉筆画の署名は筆で漢字で書かれ、たいてい印が添えられています。
サインの特徴
春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、卍など。それぞれが画業の段階を示しています。
「北斎改為一筆」のように、古い号と新しい号を並べて記した署名。
肉筆画の署名は筆で書かれ、朱の印が添えられています。
「画狂老人」は、画家自身を言い表した署名です。
自分のサインに似た雰囲気を出すには
- ローマ字の名前なら、サイン作成の「文字入力」タブでKristiを試してみてください。かすれた勢いのある線が、速い筆運びを思わせます。傾きは0°〜4°に。
- 「手書き」タブで筆のようなサインを書いてみましょう。ゆっくり書くと線が太く、速く書くと細くなるので、筆と同じように太い画から細く抜く線まで表現できます。
- サインに、頭文字を図案化した小さな四角い印風のマークを添えてみましょう。日本の落款が名前と印を組み合わせるのと同じ発想です。
- ペンネームや屋号で活動しているなら、一貫して同じ名前で署名を。名前を変えたときは、北斎のようにしばらく前の名前も添えるとよいでしょう。
原本を見られる場所
リンク先は資料館、図書館、美術館、ウィキメディア・コモンズです。
葛飾北斎のサインについてよくある質問
北斎はいくつの名前を使ったのですか?
生涯に30以上の画号を使いました。春朗、宗理、北斎、戴斗、為一、画狂老人卍などです。
「神奈川沖浪裏」にはどう署名されていますか?
「北斎改為一筆」とあります。「北斎あらため為一の筆による」という意味です。
「画狂老人卍」とはどういう意味ですか?
おおよそ「絵に狂った老人、卍」という意味です。1834年から亡くなるまで使いました。